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あれから13年 [日々のつぶやき]

今日、1月17日は、阪神淡路大震災の日ですね。
あれから、もう13年もたったんですね・・・・。
あの年生まれた子供がもう中学生と言うことです。

早いような、長いような・・・・・・。
でも、今でも、震災当時の映像が流れると、鳥肌が立ち、涙目になってしまいます・・・。

私自身と言えば、当時大学3年生。京都に下宿をしていたので、そこまで大きな揺れではありませんでした。
が・・・明け方までレポートを書いていて、5時過ぎにようやく眠った直後の下から突き上げるような大きな揺れに飛び起きたのを覚えています。

即行でテレビをつけ、ローカル番組を放送している「朝日放送(ABC)」にチャンネルを合わせると、テレビ画面は真っ暗。アナウンサーの動揺した声だけが放映されてました。
直後に、電話がなり、出てみると父親でした。

大阪の中でも兵庫よりの我が家。かなりの揺れだったらしく、父親が真っ先に心配してかけてきてくれました。
震災直後は電話は繋がりました。
が、今後2週間チョッと、下宿の家電から実家に繋がることは無く、いつも公衆電話から何度もかけてようやく繋がる感じでした。

当時は携帯も普及していないので(と言うか、コレがきっかけで携帯がかなり普及しましたよね)家と連絡を取るので精一杯。
兵庫の中心部に住んでいる友人の安否が気になりながらも、なかなか連絡が取れませんでした(T_T)

地震後数時間たった後にテレビで放映される状況を、ただ、ただ、唖然と眺めるしかできませんでした。
一人じゃ怖いので、大学へ行き、クラブのボックスのテレビを、登校できた友人たちと見守りました。

京都の私の下宿先は、不安定なものが少し落ちたくらいでしたが、実家はちょっと大変でした。
近所中の瓦が落ち(我が家は前年の台風で飛ばされ補強していたので無事でした)その破片で玄関のガラス戸は割れたそうです。
家の中は、食器等が散乱し後片付けが大変だったそうです。(母の大切な食器や私が旅先で購入したお土産も割れてしまいました。)
家の外の外壁が部分的に落ち、お風呂場はひび割れていました。

といっても、中心部で被害に合われた人たちから比べると格段にマシなのですが・・・・。
運よく、ライフラインの断絶も無く、日常生活は通常に暮らすことができてホントに良かったです。

それでも、しばらくは大変な日々。
当時、三ノ宮に職場のあった父は、通常であれば1時間半くらいの通勤時間なのですが、電車はストップ。
結局、兵庫の六甲山の裏手から回りこむ形で、毎日4~5時間かけて通勤していました。
隣のビルは倒れていたそうです
社員のホトンドが被災しているので、少しでも家がマシだった人が中心で整理しなければならず、会社の片付けも大変だったそうです。
又、運悪く、当日会社の駐車場において帰った我が家の新車は、立駐の上から落ちてきた車があたり、悲しい状態になってました・・・。(幸い、破損はエンジン部だけだったので、エンジンのみ入れ替え?で復活してきましたが・・・)

弟も兵庫県内の大学に通っていたため、震災以降の授業はストップ。新学期も遅れて始まってました。
その後も、運動場が仮設住宅地として貸し出されていたため、体育の授業等に制限があったそうです。
弟の友人は下宿先が倒壊。オーナーのおじいさんが亡くなるのを見てしまい、ショックで実家に帰ったまま戻って来ることがしばらくできませんでした。
結局、なんとか戻ってきて、新しい下宿先を我が家の近くに見つけ、卒業まで母が何かと世話をやいていました。

私は、一刻も早く実家に帰りたかったのですが、何せ、鉄道が全部動かず・・・・。実家の車も上記の状態で・・・。
結局、家に帰れたのは、1ヵ月以上後になってからでした。

震災後初めて実家に戻った際、高台を走るモノレールから見た「青」一色の風景は、今でも目に焼きついています。

今、幹線道路を走っていると、両側の家々がとても新しい町並みが続きます。
そういう風景を見ると、「あ~ここも大変だったんだな~」って改めて実感します。

ホンノ何秒かの地球の揺れで、何千もの人が亡くなり、街が壊滅状態になる。自然って、スゴイ。
でも、あんな状態の街を、たった10年ちょっとでここまで復興させる、人間だって、スゴイ。

そんな震災を思い出すたんびに、危機管理をしなければ・・・と思うのですが、なかなか行動に移せません。
その後、福岡でも地震に遭遇したと言うのに、未だに家の中は野放し状態。
自分の不甲斐なさに、呆れてしまいますね・・・・(T_T)

昨日のネットニュースで、未だ、被災者の方たちの孤独死が続いているとありました。
復興はまだ途中なんですよね。
メディアの興味はスグに移っていきます(震災のときも、3月に起こったサリン事件で、すっかり話題はそちらの方へ移っていきました)。
私が知らない所で、まだまだ沢山の人が復興に向けて努力をしているのでしょうね・・・。
神戸に限らず、福岡では玄海島、中越や能登の被災者の方たち。
ホントに元通り暮らせるようになるまで、どのくらい長い時間が必要なのかわかりません。
心の傷は一生続くでしょう。

自然災害は避けることはできません。
でも、被害を最小限に抑える努力はできる筈。
日ごろ忘れがちな防災を、今一度、ちゃんと見直さなければいけませんね・・・。


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